タカラ湯
HISTORY — 由来


タカラ湯は1927年(昭和2年)、松本留次郎が荒川土手近くで創業。1938年(昭和13年)、 道を挟んだ現在の場所に改築されました。千鳥破風を戴く「宮造り」建築の風格が今も堂々と 残り、入口には柴又帝釈天の門前・園田仏具店が手がけた、畳一畳ほどの大きさの七福神の 彫刻が掲げられています。

戦時中、高い煙突が工場と間違われ空襲の標的になりかけたこともありましたが、タカラ湯は 無事に生き延びました。

入口に掲げられた畳一畳ほどの大きさの七福神の彫刻

入口に掲げられた、七福神の木彫り

THE DIARY — 番台日記

二代目・松本益平の記録

大正10年(1921年)生まれの松本益平は、タカラ湯二代目のご主人。終戦直後の闇市の頃には 一日千五百〜二千人、大晦日には三千人もの客で賑わい、場内を歩けないほどだったといいます。 塩分の強いにがり湯の浴槽では、客の体が浮いてしまうほどで、つかまるための棒が設置されて いたそうです。

1949年(昭和24年)、結婚を機に経営を兄にまかせて文具店を開業。店は繁盛し、その資金を もとに1953年(昭和28年)、板橋区常盤台で新たに銭湯を開業してそれを兄に譲り、自らは タカラ湯へと戻ってきました。そんな激動の時代の記録が、番台日記には今も残っています。

タカラ湯の浴室、中島盛夫氏が手がけた富士山のペンキ絵
THE MURAL — ペンキ絵

浴室には画家・中島盛夫氏が手がけた富士山のペンキ絵。銭湯文化とともに数を減らしつつある この情景画も、タカラ湯では今日まで大切に描き継がれています。男湯には新幹線と富士山、 女湯には松原と富士山——同じ富士でも、見る場所によって違う景色が広がります。

THE OWNER — 館主

写真家でもある、四代目館主

館主・松本康一は日本大学芸術学部写真学科卒、海外旅写真を中心に活躍するプロカメラマン。 JTB「旅」、毎日グラフ、旅の手帖といった媒体や、東京ディズニーランドのガイドブック・ カレンダー、テレビドラマの撮影なども手がけながら、自らもカメラを手にタカラ湯の日々を 撮り続けています。庭園の四季、常連さんの表情、湯気の立つ浴室——その眼差しが、この 銭湯の空気をつくっています。